2017年4月14日金曜日

自然療法の成功基準 「死=悪ではない」

私が自然療法の指導をしていて
患者さんが治るためのより良い選択をできるかは
「死=悪ではない」を受け入れているかどうかにかかっていることに
長年気がついていましたが、
どうしても、それを言うことをためらっていました。
今日はやっとそれを言う勇気とインスピレーションが降りてきたので
お話していきます。

善悪は時と場所によって変わる

まず、何が正しい、何が間違っているか、
何が善で何が悪かということは
その時(時代)や場所(国、地域)によって
変わるということは
受け入れることができるでしょうか?

死んだら、その自然療法が間違っていたということではないか!

と思う方は
少しの間だけ

もしかしたら「死=悪ではない」可能性があると
受け入れた上で続きを読んで下さい。

成功=お金という価値観


例えばあなたが「成功=お金」という価値観があり
稼ぐことができなければ成功でない、
という価値観が浸透している時と場所にいるとします。

一昔前まで
富裕層が大っぴらに奴隷を使って
お金を作ってきた歴史があります。

奴隷制度は
レバレッジも効くし、
安いし
楽だし
効率的にお金を生む方法として
取り入れられたと思います。

クリスさんとマイケルさんのお話


奴隷を所有しているクリスさんという人がいます。
クリスさんは
奴隷を所有していない
お友達マイケルさんに対して
とビールを片手に
友達のことを心配して言ってくれます。

クリス:

「なんで、こんなにはっきりと
成功できる方法があるのに
使わないんだい?

奴隷が働いてくれている間に
自分はより知的な活動ができるから
もっといい世界を創ることができるぜ。

自分の汗水たらして
労働するなんて、なんて馬鹿げた選択なんだ!」


さて、マイケルさんは
同じ時代、地域で育ったにも関わらず
平均的な人と大分違う価値観を持っていました。

彼は奴隷制度に心を痛めていました。

マイケル:

「いや、僕は君みたいに
奴隷に鞭打って効率よくする方法よりも
お客さん一人ひとりと向き合って
ニーズに答えていく方が
向いていると思うんだ」

彼は奴隷を使わずに
ビジネスをしようとした結果
結局貧乏なままで一生を終えました。

成功者の定義


成功=お金とするならば

クリスさんは成功者であり
マイケルさんは不成功者でしょう。

でも、その方程式はこの世で絶対でしょうか?

成功はお金だけで定義されるのではない!と思われませんか?

現代の私達の目からみると
より愛の深い選択、
素晴らしい、称えるべき選択をしたのは
マイケルさんのように思えます。

より充実して、人間関係が深く
自分の信念に沿った人生を送ったのは
マイケルさんかもしれない。

成功=人生の満足度
成功=愛の深さ

とするならば
マイケルさんの方が成功者である可能性もありますね。

別の可能性


さて、もう少し掘り下げてみます。

マイケルさんが奴隷を使わなかったとしても
お金を稼いで成功する可能性はあったでしょうか?

そして、逆にクリスさんは
奴隷を使いながらも
運営に失敗して、
成功しなかった可能性があるでしょうか?

どちらも可能性がありますね。

それぞれの結果について
社会がどう判断するか
みてみましょう。

奴隷を使って富を得たクリスさん

→ 成功者だ!

奴隷を使って成功しなかったクリスさん

→ まあ、頑張ったよな。

奴隷を使わないで貧乏だったマイケルさん

→ 愚かな選択をしたものだ

奴隷を使わないで富を得たマイケルさん

→ 奇跡だ!

現代医療と死=悪か?


さて、「死=悪」に戻りたいと思います。

現代医療はとにかく「死」を避ける
死をできるだけ遠のかせることが
目的である治療でないかと思います。

しかも奴隷制度みたいに
結構野蛮な方法が多いと私は思っています。笑

俺の言う通り
おとなしく生きていない細胞は
切ったり、焼いたり、押さえつけるぞ。
究極、悪いヤツをやっつけるために
連携責任で全員処罰だ!!!
これも、全体ができるだけ長く生きるためだ、
文句あるかっっっ。

みたいなね。

まあ、暴力的な力によって
切り取られたり、押さえつけられたりしているわけですから
結果はすぐにでます。
なんとなく、それで治療が成功しているように思えます。

癌の塊はなくなるし、
化学療法をしている間は
腫瘍マーカーが
低くなるわけですからね。

でも、もっと違うアプローチで
病気を克服したいと思う人もたまにいます。

細胞が働きやすい環境に変えてあげたり
(体をアルカリ性にする)
がん細胞と対話して仲直りしたり

時間はかかりますが
ずっと根本的なことと取り組む方法だと思って
していると思います。

その過程で劇的に良くなる人もいるし
治らない人もいます。

でも、途中で亡くなったからといって
その方法が必ずしも悪ではないと思いませんか?

クリスさん、マイケルさん 再登場


西洋医学を選ぶクリスさん
自然療法を選ぶマイケルさんに
もう一度登場してもらいましょう。


西洋医学で治ったクリスさん

→ 治療に成功した!

西洋医学で亡くなったクリスさん

→ まあ、頑張ったよな。

自然療法で治らなかったマイケルさん

→ 愚かな選択をしたものだ

自然療法で治ったマイケルさん

→ 奇跡だ!


人が何かの治療を選択する時に
何に価値観を置いているか。

もし、死=悪であれば
西洋医学を選ぶのは最善なことかもしれません。

でも、治療の成功を死で判断しない人は
(結局西洋医学でも自然療法でも人は死ぬんです!)
恐怖に基づかない
もっと冷静で、
より愛のある選択ができるように思います。

意識が進むに従って
奴隷制度がかっこいいことでなくなったように
西洋医学の大部分の治療は廃れていくのではないかと
私は思っています。

ちなみに、上記の治療を「肉食」で考えてみて下さいませ~。

肉食べないと治らないよ!=
動物を搾取しないと、健康になれないよ

自分だけが死なずに
元気であって、
動物や環境を搾取し続けても
何も思わない

というやり方は
もう時代遅れじゃないですか。

菜食の人が死んだからと言って
それが間違っている
悪だということではないはずです。

どこに価値観を置いて
ジャッジしているか
それだけの違いです。

治療の成功を
生か死だけにおかず、
どれだけ学べるのか
どれだけ多くの人に愛を広められるのか
どれだけの人にインスピレーションになるのか
そういう判断の仕方で

もう一度みてみて下さい。

1 件のコメント:

  1. こんばんは、


    死は開放だと思います。
    悲しみ、痛み、苦しみからの開放です。

    死は深い眠りであり休眠です。
    将来目覚めるときがきます。


    痛みがあると人は痛み止めを使います。
    そうであれば、痛みや苦しみから逃れるために安楽死は有りと思います。

    人生の苦しみに耐えられず自殺する人がいますが、そのような人を助けられない者がその人の決定を咎めることはできないと思います。


    人が年をとって、あるいは病気になって眠ること(休眠)を望むなら、そうしてあげることは親切だと思います。


    年寄りや病人に管をつけて無理やり延命をしたり、またその結果として植物人間とすることは倫理に反していると思います。


    苦しむ人にとって死は開放ですが、遺族にとって人の死は悲しみです。
    でもその悲しみは一時的であり、時とともに癒えて行きます。
    死者は、苦しむこともなく無存在に戻っていますので、死とともに心配は消え去ります。
    将来の命は神に依存します。
    なぜなら、神は命の回復を約束しているからです。


    人間社会に満ちる悪について考えるとき、愛や親切や思いやりを絶たれた人たちが弱くなり病気になります。ですから単に病気の物理的な要因だけでなく、隠れている根本的な原因にも目を向けるべきだと思います。

    いじめ、失業、搾取、不公平な扱いなどにより身動きがとれなくなっている人たちは病の外的要因に屈しやすくなっているでしょう。

    薬や医療だけで社会悪を治すことは不可能です。

    個人にできることは、隣人に愛や思いやりを示すことと、お金のかからない実用的な自然療法を教えてあげることだと思います。医療を家業になさっている方々もその視点で患者さんを助けることができると思います。

    また聖書に書かれてある真の命の希望は人々に生きる力を与えると思います。

    他人の痛みに無関心な人々が作り出した社会の悪を正すことは個人の努力だけでは不可能だと思います。
    人間社会の悪は、近い将来神により正されます。

    それで、問題の真の解決について教える聖書の音信は、苦しむ人々に希望と苦難に耐える力を与えると思います。

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