2014年11月28日金曜日

自分の信念ってどれほど大事?


月村了衛著の「機龍警察 未亡旅団」を読み終わりました。

この中でチェチェン出身の未成年(女の子)が
日本の警察で取り調べを受けている時のこと。

今まで自分が信じていたこと、
そして母のように慕っているリーダーの信念が
間違っていたかもしれないと

その可能性を受け入れた時に
彼女が見えなかった、気づかなかった
事実が見え始めた瞬間がありました。

そして、自分のグループを裏切る形になるけれども
新しい信念に従って、生きることを決心します。

テロリストだった彼女が
こんな簡単に考えを変えるわけがない、
と思うかもしれませんが、

少しずつ、少しずつ土台を削っていくと
自分の信念という壁がある日突然崩れ落ちる時
ってきっとあると思います。

人間誰でも自分が正しいと思って生きています。

一昔前?は地球は平らだと誰しも思っていたのです。

数年前、私もそういう経験があったことを思い出しました。

今まで良かれと思って沢山の人に処方してきました。

それが、薬なんて症状を抑えているだけで
なんの治療にもなっていないじゃないか。
しかも殆どの場合何もならないどころか
害になっているのだと。

こんなに明らかなことも気づいていなかった自分が
突然見えはじめました。

これが見えたら、普通に処方する医者には絶対戻れません。
上記の女の子がテロリストに戻れなかったように。

(次元があまりにも違いすぎる?
いや、医者の方が数倍罪深いですね。
テロリストが出す死者より
毎年医者が殺す患者数の方がきっと何倍も多いでしょうから。)

他にも自分の信じていたキリスト教が
間違っているかもしれないと
可能性を受け入れて
その教義を見直してみたら

あああ。。。なんてことでしょう。

この時はもっと辛かったですね。
なんといっても、
母どころか、神様が間違っているなんて考えられますか?
(ちなみに、神様が間違っていたわけでなく、
私の神様に関する信念が間違っていたということです。)

今でも私は多くの信念で固められたフィルターを通して
世界を見ていると思います。

二つの壁を突破した私にはわかります。
できるだけ信念がないにこしたことはない。
その方が真実をありのままに見る事ができるから

信仰とは「知らない」ことを信じて受け入れることです。

知っていることは信仰しません。

ん?当たり前の事だと思いますか?

あなたはどれだけのことを知らないのに信じているでしょうか?
それが真実でなかったとしても
真実として受け入れていることありませんか?

ぜひ、ちょっと立ち止まって考えてみることをお勧め致します。

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