先日自分はどこからどこまでと言い切れるだろうかという記事を書きましたが
ただ単に、どこまでと定義したり、「言い切れない」というだけの為に書いたわけではありません。
自分はどこからはじまり、どこまで続くのかと考えた時に、
顕微鏡の世界、又望遠鏡の世界を想像します。
食べ物が口から入って、胃の中で消化され、それがそれぞれのアミノ酸やら糖分やらに分解され、吸収されそれぞれの場所に行き。。。と考えていくとどんどん小さな所まで考えていきますよね。
分子とか量子の世界。
それもすぎると情報の世界になります。
結局すべてのことは情報なんだっていうことを
Big toeのキャンベル博士は言っていますけど、
なるほど~。。。
それからズームアウトして、自分がいる場所、それから町、国、とどんどんズームアウトしていくと(グーグルマップの世界。笑)自分がどんどん小さくなって、地球の一部として見えなくなり、もっとズームアウトすると地球さえも見えなくなって。。。という世界。
自分は結局地球の一部でしかないんだという、何とも言えない感覚です。
例えば、今自分のお腹の中に生きている沢山の善玉菌達。
その中の一つ(一人?笑)が知的な存在だとして、
私のお腹の中で一生懸命自分の役割を果たしている(かもしれない)
そんな感じで私という個人も結局は地球という生命体(?)の一部として一生懸命働いているって感じがします。
地球は地球で、また太陽系の中でそれなりの役割があって。。。という感じでスケールが違えど、繰り返しがあるというように。
そういう風に考えて、結局自分と他のものは繋がっているんだな~という深い感慨にひたっている今日この頃。
それから余談ですが、ここから生、ここから死と定義するのも中々難しいですよ。
精子が卵巣の中に入った瞬間を生とします?心臓も動いていないし、息もしていませんよ。
死も難しいですね~。難しいから脳死問題とか移植の問題って難しいんですよね。
ただ単に心臓が動いて、息をさせられている状態は生きていると言えるのか言えないのか。
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