2014年6月12日木曜日

誕生死

去年2013年8月15日に第三子を死産しました。22週5日目のことでした。

ミルクちゃん(と子供達に呼ばれていたのでそのまま彼女の名前になりました)を妊娠した時は丁度職場で数名の医師が次々と辞めていった頃。私の負担も日々増えてきていました。上の二人と同じくつわりがひどく、座っているのもやっとです。でも上の二人の時も、何とか休みをとらずに仕事を続けたので、今回もつわりの時期が過ぎるまで、とにかく辛抱と、毎日出勤していました。職場では私の負担が増えないように気をつかってくれていましたが、私もできるだけ、医師が減った分の負担を受けようとほんの少し頑張りすぎたかもしれません。

つわりの間は殆ど食べ物を受け付けず、6kg体重が落ちていました。不思議と体に悪いもの(?)を全く食べたいと思わなかったです。甘いもの、加工品、添 加物、スナック類。食べたくも見たくもない。白米もだめ、玄米を炊いている匂いもだめ。甘い果物も吐いてしまう。一日一食だけ、普段通り食べれたのは、ミ ミズクさんという菜食玄米弁当屋さんのお弁当だけです。あとは水ぐらいしか飲めない、もしくは食べたもの全てでてきました。あの時は私一人の弁当を届ける為に毎日きて下さったミミズクさんのおかげ で命拾いしたと思います。

12週になって出血がありました。トイレに行くと下着が染まっていてびっくりしました。同僚の婦人科医に頼んで超音波をあててもらいました。その時、「あれ?心臓が動いていない?」と一瞬横切ったのですが、その後は問題なく動いたようにも思います。とにかくつわりがひどく、きちんと考えられていなかったかもしれません。出血はその一度だけで収まりました。

その後もちょっと不安になると、自分で超音波をあててミルクちゃんの様子をみていました。そういう時は大抵元気よく動き回っている彼女をみて、安心したものです。 胎動は15週ごろから感じ始めました。(平均的に20週ぐらいから感じ始めるのが普通です)
16週に入ってつわりも収まり、安定期になったこともあり、安心していました。妊娠初期に流産は本当に良くあることですが、安定期に入った後に死産になるの人はそういません。

二人目を自宅出産した時が素晴らしい体験だったので、ミルクちゃんも自宅出産したいと思い、自宅出産をしてくれる助産師さんに何度か見てもらっていました。第三子にしてやっとおむつなし育児 にも目覚めたので、すごく楽しみでした。

自宅出産希望の場合、妊婦健診は担当の助産師さんがしてくれます。そして決められた時期は病院での健診です。今回22週の健診は、9週で健診した以降久しぶりに病院での健診でした。特に体の調子も悪くなく、主人と子供達も一緒に普段通りの健診を受けにいきました。担当医は、「うわさ」では恐れられている婦人科医の部長(というのかな?婦人科で一番偉い先生)です。先生は入ってきて超音波で赤ちゃんの頭を計りながら「自分の姉も40歳過ぎて数人子供生んで全く大丈夫だったからね。経産婦さんの場合問題ないですよ。」などと言っています。いや、私、特に心配してませんでしたけど。。。と思いつつ、良い先生だな〜と思っていました。

先生が心臓の方に移った時急に手が止まりました。「心臓が動いていない。。。」「最後に胎動感じたのいつ?」

あああ。。。なんてことでしょう。胎動感じていなかったのに私は全く気がついていませんでした!

金曜日に感じていたことは確かです。大抵受診者さんの乳がん視触診をしている時、赤ちゃんがぐるぐるっと回るのを感じるのですが、その金曜日は特別元気だなあと思っていたのを覚えていたからです。でも週末になって、家で子供達の世話したり、親戚がきたりで、忙しくしている間、胎動を感じる静かな時間を持っていなかったことに気がつきました。

健診の日は月曜日でした。その日も朝からパタパタ。胎動のことなんて全く頭になく。「昨日まで胎動あったような気がしますが 。。。」

確かにほんの数日前までは育っていたサイズです。

それからは、いつ入院しましょうか。明日予約入れておきますけど。という話になり、「明日?今私が職場抜けたら大変なことに。。。せめて明後日。。。」

入院して、誘発剤を使って赤ちゃんを生むことになります、と説明がありました。

できれば薬を使わず、赤ちゃんが自然にでてくるのを待ちたいのですが、と駄目もとで言ってみますが、「それは医療者としてお勧めできません。」と。(私も担当医だったら同じこと言わなければいけないので、良くわかります。)

とにかく家に帰って考えまくる。私にとって病院で分娩台でお産するなんて、考えられない。それに痛みの対応はどうするんだろう?自分の知り合いの産婦人科に相談しようか、自然派のお産の家の先生に相談しようか、そうこう迷いながら、何故か行った先は実家。というより、入院の為に保証人が必要だったので一応署名をもらいに。それにしても今入院するには保証人が必要なんですね。。知りませんでした。

何故か家に帰る気がせず、その日は子供達と一緒に実家に泊まりました。夜眠れずに考えていました。そして死んだ赤ちゃんが自分の中にいると考えたら何だかいてもたってもいられなくなりました。早く生みたいと思いました。薬を使ってもいい。分娩台はいやだけど、仕方がない。

結局明後日入院するはずを次の日に急遽してもらって入院することにしました。

その日はラミナリアで子宮口を開きます。これでお産にいたることはまずないけれども、陣痛に備えて硬膜外麻酔をしましょうか?と担当医。なんという有り難い申し出。「普通のお産だったら硬膜外麻酔はさせない方針ですが、死産なのに、痛む必要ないですから」と。本当に心遣い嬉しかったです。

そうです。入院を迷っていた理由の一つに、この病院は硬膜外麻酔をしない方針というのを知っていたことがありました。こんなに自然派を謳っている私ですが、死産の際の痛みに耐えられるだろうかと不安だったのです。生きている赤ちゃんを産むための痛みは頑張れますが、死産の痛みには。。。そう思っていた時でした。

硬膜外麻酔を入れてもらって、その日は特に何もなく、夜中に少しお腹が張ったので一度だけ薬を入れてもらいました。

担当の助産師さんに「できれば分娩台でお産したくない」ということと、「赤ちゃんが生まれてきたらその子に着せてあげる服さえ私は用意することができなかった」ということを伝えた時に泣けて泣けてたまりませんでした。

それから二日目は点滴を始めました。けれども全く陣痛の気配なし。その日も夜中にちょっと張った時一回だけ薬を入れてもらいました。

3日目朝、少し違う種類の誘発剤の点滴。モニターには張りがでてきていますが、2度お産を経験した私は、これでお産に至るはずがないとわかっています。その日は私が頼んだ箱を母が持ってきてくれました。赤ちゃんのお櫃です。箱に合うように白いクッションを作ってくれて、白い布と、つんだ野の花もついています。お昼頃、スイスボールの上で体を動かしていたら、きました、きました。お産に至る陣痛。「すみません、痛み止めの薬お願いします。主人も呼んで下さい。」

そこからは早い早い。医者が硬膜外麻酔の薬を入れる用意もできず、ただただ分娩室に行きます。もう赤ちゃんすぐにもでてきます。陣痛の合間に助産師さんが、「どの向きで生みますか?」と聞いてくれました。ああ、よかった~。分娩台で生まなくてもいいんだ!どんなにほっとしたことか。

右を下にして赤ちゃんがでてくるのを待ちました。ここの病院はフリースタイルで畳の上でお産できる病院です。でも、こういう死産の場合は分娩台なんじゃないかと思って不安だったのですが、助産師さんも慣れたものです。ベッドの上で赤ちゃんがでてくるのを待っています。とにかく痛い、痛い。こんなに小さい赤ちゃんなのにどうしてこんなに痛いんだろう。麻酔の薬もようやく入れてくれたのか、ふと途中で痛みがなくなり、そして赤ちゃんがでてきました。

赤紫色に変色していました。ふにゃふにゃしています。顔をみても全く感情がわきません。自分の子供という感じがしませんでした。ただただ悲しいだけです。主人に赤ちゃんを綺麗に洗ってもらって、病院のスタッフの方が作って下さった洋服を着せました。白い布で巻いて抱っこします。上の子は興味深々。「赤ちゃんかわいいね~。あ、鼻から血がでてきたよ。」等、大人では到底言えないことを屈託もなく言葉にします。

生まれた後、早めに退院させてもらいました。

流産や死産が乳がんのリスクを上げるということを聞いたことがあるので、おっぱいは薬で止めずに出し切ろうと思っていました。でも、搾乳器ではしっかりと絞れません。下の子が卒乳したばかりなので、下の子に吸ってもらおうと思っておっぱいをみせますが、べろんと舐めるだけで、上手に吸えません。ほんの数か月で忘れちゃうんだ!とびっくりしました。それで、自宅出産の担当して下さるはずだった助産師さんに来てもらって、乳房のマッサージをしてもらい、乳管の通りを良くしてもらいました。一つ一つ丁寧に乳管を開けて下さって、本当に感謝でした。

マッサージのお蔭で搾乳器で絞れるぐらいになって、1,2週間ぐらいは絞っていました。ちょっと張ったら絞る。でもどんどん少なくなっていくのがわかります。絞ったおっぱいは何か薬の代わりにできるかもしれないと冷凍庫に入れていましたが、子供達がアイスクリームにしてすっかり食べちゃっていました。あらあら。

死産でも法的に産休をもらえました。(補助金?ももらえます)8週間大変な新生児のお世話もなく、ゆったり家族での時間を過ごすことができました。

お腹が大きい人や、小さい元気な赤ちゃんをみると涙がでました。同じころに妊娠していた方たちが赤ちゃんを連れて職場に遊びにきているのをみると、いたたまれなくなって逃げたこともあります。

それでも心の傷はそこまで深くありません。体もゆっくり修復して、今はやっと元に戻ってきたと思います。(つわりの時に寝たきりのような状態で、筋肉がなくなってしまっていました。今筋肉を取り戻しつつあります。)

昨日誕生死という本を読みました。泣きました。。そして、ああ、そっか、こういう想いって、外に出すと自分の為にも、そして同じような体験をした人の為にもなるんだと思いました。以前も何度か書こうか迷っていましたが、この本がきっかけでやっぱり書いた方がいいかもと思い直しました。

この体験で学んだことまで書くと又長くなってしまうので、今回の記事はこれぐらいにしておきます。

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