2013年11月30日土曜日

お金なしの社会

 これまで自然療法を選ぶ基準というものをつたない文章で書いてきました。その全てをまだお話していないのですが、今回「お金」に関して話す事は重要であるし、もしかしたら、これが私の考えをきちんと伝えられる唯一の方法かもしれないと思っています。ヘビーな内容で、ブログの1記事に到底おさまるようなものではないですが、やってみたいと思います。

自然療法を選ぶ基準。

地球上の自然の流れに沿っているかどうか。
愛がベースにあるか。
意図は何か。

というのが基準なのですが、以前、自然療法で使うものは殆ど無料であるということをお話しました。

空気、水、土、野草(野菜ではなく、そこら辺に生えている雑草)太陽の光

考えてみて下さい。

お金って自然の流れに沿っているでしょうか?
地球上でお金を使っているのは人間だけです。
他の生物はすべてお金なしで生きています。

そりゃ人間が他の生き物に勝っているからだ、と思いますか?

そもそもお金っていつから始まったのでしょうか。

私たちが考えているお金の始まりのコンセプトは洗脳されているからだということが私にもやっとわかってきました。

物々交換では色々面倒なので、お金が使用されるようになってきた

というものですね。

まあ、もう少し詳しい方はゴールドを銀行に預ける際にあなたはこれだけ預けていますという預かり書みたいなものが今の紙ベースのお金になったということを知っていると思います。(スライブという映画や、thinkerという方達がだしている情報を参考にして下さい。)

上記のことは真実かもしれませんが、私が話していることはもう少し違う視点からです。

お金は私たちを奴隷にするためにある種族が意図的に始めたものだということです。
(これに関してはマイケルという方が膨大な調査をしているらしいので興味がある方は掘り下げてみて下さい。)

私たちの殆どは「奴隷のように」毎日働かなければならない切迫感があることを認めると思います。それから逃れたくて人生の大半を過ごすのではないのでしょうか?

自分のしたいことはお金にならないから、もしくは資金がないからと言われ続けて
やりたくもない仕事をお金の為に続けている毎日ではありませんか。

もしかしたら進化した文明にお金は必要ないかもしれないと考えてみましょう。

アミという本を読んだことがあるでしょうか。宇宙から地球を訪ねてきた「友達」に関するフィクションです。人間よりはるかに高い技術を持ちながらお金は使用していない、というのが地球人には理解ができない描写を思い出していました。

そう、私たちにはまだお金なしの社会は理解できないし、そういう仕組みを作ることもできません。

でも、どんどん理解できるようになってきているし、仕組みも作っていくことができるレベルになってきているんじゃないかと私は思っています。

私たちがお金を必要とするのは、物に価値をつけるからです。そして、これはあれより優れている、劣っている、そういう考え方が私たちを分裂させ、いつまでたっても争いの絶えない社会を作り上げているのではないでしょうか。

実際の所、価値はないのかもしれません。

すべてに同等の価値がある。という方がいいかもしれません。

今の社会は手が足に向かって「オレの方がおまえよりずっと重要なんだぞ」と言っているようなもので、本当はどちらも社会に不可欠で同じように大切なものなのに、自分が他より重要であると主張したくて必死なんじゃないでしょうか。

この思想が私たちの生活の隅々まで広がっています。

善玉菌、悪玉菌
雑草
害虫

これらは私たちが勝手に優劣をつけているだけで、自然のバランスをとるためには全て大切で必要なものではないのでしょうか。

前述したマイケルさんが言っていたことですが
資金がないからあなたがしたいことが出来ないと言われることは
この社会の癌です。と

私はそれを聞いた瞬間、はっとしました。

私たちは毎日こういう思想で生きている。
癌が増えているのは当たり前だ!と

私たちは「こちらの方が価値がある」と思われる方へできるだけ進もう、進もうとしているでしょう。同じ細胞の塊を必要以上にどんどん増やしている癌と一緒じゃないですか。

本当は筋肉という細胞も白血球という細胞もすべて平等に価値があり、白血球は白血球の本分を果たし、筋肉は筋肉の本分を果たしてくれるのが体全体に必要なことです。

でも私たちは脳細胞とか心臓細胞が他よりも大切だからと、白血球が一生懸命脳細胞になるように頑張っているようなものかもしれません。自分ではしたくないことを毎日していて、しかもそれが社会の為になっていない。

実際お金を使う社会だからこそ私たちは地球を破壊しています。
ぼくはお金を使わずに生きることにした を参考にして下さい。)

地球の片側では毎日大量の食料がゴミとなり、一方では食べるものがなく飢えているような社会です。

お金自体は悪くない。お金の使用の仕方によって良くも悪くもなるんだ。

いえ、いえ、いえ。
お金があること自体、狂った社会なのだということが私たちには見えていないんです。

私たちにはお金のない世界が想像できません。
それは他人が自分と同等に価値があると思えないからです。

でもそれができたら、人間は次のステップに移ることができます。

皆が夢に見るような社会です。

戦争がなく、皆が充分に食べるものがあり、安心して寝れる家があり、自然と調和し、自分の好きなことに没頭できる毎日です。

今の世の中から理想の社会まで突然変わることはできませんが、
ゆっくりと変えていくことが私たちにはできると思います。

一人一人がもう少し大きな視点でものをみることができれば、到達可能だと思います。(この視点はMBTに比べたらとても小さな視点ですが。。。)

ちなみにMBTは私が翻訳中の本です。
こちらに登録して頂ければ数日に一回1章分ずつ読めます。





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